メキシコの時間に関する考察1

中米メキシコ

コロンビアの時間に関する考察は、コロンビアという国柄そうなのかなと思い、整理をしていた私がだが、メキシコにおいても同様の問題に直面している。

実生活において、例えば、昼食、メキシコにおける昼食は、14時ころが平均時間のようで、13時などにレストランに行くと、日本でいうちょうど11時のようなイメージの対応で、好きなものを頼もうと思っても準備ができていなくなかったり、準備に戸惑い、出てくるまでに30分以上かかったりというような感じである。

このような中、最悪譲って、14時からの昼食でも私はOKであるが、なかなかつらいのがその後、食べ終わっても、やれ、デザートだ、やれコーヒーだとなかなか終わらない、

さらに、こちらは、例えば仕事関係の会食で、経費で落とす場合は、普通のレシートでは落ちず、FACTURAという公認の領収書が必要となり、これはその場で発行されることはなく、住所や会社名など必要事項を記入し、それを提出し、メールでの送付を待つことになるのだが、この必要事項記入も含めると、注文して、食べて、払ってというレストランを訪れる客としての行為がすべて終わっても、精算だけで、その後30分以上も居残りさせられることもざらである。

おそらく昼食自体を食べている時間はトータルで30分程度とおもわれるのだが、実際には、短くて1時間半、普通で2時間、ちょっと長いと2.5時間や3時間となる。

昼食は、15分で食し、少しでも仕事を進め、早く会社を出て帰宅、とういうような生活をしていた私にとっては、とてつもない苦行である。

昼食はほんの一例だが、例えば別れ際にもあいさつした後も再度だらだらだらだら話初めて、話が終わった後、再度の別れのあいさつで時間を要す。

また、何か行為をするときに、時間単位でも、日数単位でもいつまでにということを決める機会が極端に少なく、仕事などで、毎度毎度必ず、私自身がいつまでに?という問いかけをしなければ期限は絶対に自発的にはでてこない。

この点は、口を酸っぱく、いつまでにという時間は必ず決めることと言っても、まず出てこないため、職場にてこの発言は、私の専売特許となりつつある。

また、さらに飛行機などの予約の時間にも特徴が表れていると思う。

ある時出張の帰りのフライトが現地発19;00となっており、その出張先は、飛行機で1時間程度ととても近いメキシコの地方都市。

行き来も盛んで、1時間に1本の間隔でフライトがあるような状況、東京大阪のフライトのようなものである。

このような状況下、打ち合わせは、朝9時開始、しかもこの日は、この打ち合わせだけという状況である。

スタッフになぜ朝から始まり、飛行機がそんなに遅いのかと聞くと、昼食を一緒にするのでということ。

私は、そんな話すこともないので、1時間で十分と思われるが、まかり間違って、3時間を要したとしても、12時ころに終わって、昼食を一緒にし、空港までは30分程度なので、当然空港には15時にはつけるものと思われる、その際のフライトが19時、空港での待ち時間、4時間、いくら何でもと思いながらも、打ち合わせに参加。

打ち合わせが始まる前に、客先より、帰りのフライト時間を聞かれ、19時と答える、当然私はもっと早くすればなどという言葉を期待したいのだが、答えは、真逆でそのフライト時間の選択は、とてもよい選択だと。

なぜと聞くと、お尻が決まっていると落ち着いて打ち合わせができないしという。

つまり、内容があって、内容に沿った話で、どれぐらいの時間がかかるから、どれぐらいの時間に終了することを目指して打ち合わせをするのではなく、内容があって、内容にそった話もあるが、どれぐらいの時間がかかるかは神のみぞ知るなので、お尻は決めずに徒然なるままに無限の時間を使い、語り合おうという趣旨らしい。

我々の考え方は、時間を考慮し、内容を調整し、結論までもっていくという考えであるが、こちらの考えは、内容次第で、時間はいくらでもどうにでもなるという考えなのであり、時間というものは、主ではなく副という世界観なのである。

コロンビアからメキシコということで、日本から直接というよりは、カルチャーショックは少ないものの、やはり実生活上で不便であり、私の場合はこれが、家に帰ってもコロンビア人の奥さんなので、すなわち、今の人生すべてがこの時間感覚に支配されており、この時間に関するストレスは並々ならぬものがある。

私は、ほぼ50歳であるが、人生100年(もちろんそこまで生きさせてもらえるほど善行を重ねていないので、その数字を出すのはおこがましいが。)、私の場合でもおそらくああと25年程度は寿命を与えてもらえるのだろう。

それを、私がイメージしているきちんとして時間の使い方で過ごす総時間を100とすると、おそらく外でのメキシコ生活での時間の進み方+家での奥さんのコロンビア時間での時間の進み方ということで推し量ってみるうと、その数字は、30程度となるのではと思われる。

これを25年で乗じてみると、25年X30%=7.5年、ガーンという数字である。

後、7.5年の人生、結構なショックで、ただ、メキシコ人の行動様式を変えるのは不可能で、さらに奥さんの行動様式に口を出すなどもっと不可能ということで、私はこの7.5年という絶対数を受け入れざるを得ない。

他人は変えられないが、自分は心の持ちようでいつでも変えられるというような言葉をいつかのどこかで読んだ覚えがある。

これを現在の状況に当てはめると、私を取り巻く他人、私の現在の心の持ちようであると、今の状況は確実に30、ただ、メキシコ人やコロンビア人の奥さんのようにそれを100と感じることができれば、25年に伸びるのであり、とにかく、自分の感覚を変えようと日々心の葛藤をしているところであるがまだ、全く悟りの境地にはいたっていない。

なんとか早いところ、30を100に、7.5年を25年にする新境地を開拓しなければと焦っているのであるが、「なんとか早いところ」や「焦っている」と思っている時点で、もう開拓失敗である。。。。

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