メキシコの時間に関する考察2

中米メキシコ

メキシコ人のお客さんと会食した時の会話で、あまりに衝撃的な言葉で、すぐに、この投稿を書いているものある。

私が国際結婚をしたことを知っているお客さんから、「国際結婚で、いろいろ感じ方が違うこととかあると思うが、一番大きな違いと思うのはなんだ」と聞かれたので、私は「いろいろあるが時間に関する考え方が全く違う、私の場合は、時は金なりで、時間は大切に有効に使うことがいきているものの義務であると思っている、一方、奥さんは、時間は浪費するもの、自然に過ぎていくもので、その流れに逆らわず、粛々とやりたいことをやり、時を過ごしていくことが大切だとおもっていると、かなりの違いで、よくケンカをする」と回答。

例えば、家族で海に行くとする、私の場合は、海で遊ぶことを目的にしているので、必要なものはすべて準備し、一刻も早く出発し、海に到着したら、すぐに用意をして、海に飛び込み、時間いっぱいまで遊び、目的を果たしたことに満足し、家路を急ぎ、家でしっかりと休み、次の日に備えるという考え方。

一方、奥さんはというと、私が準備を整えて出発できる状態になったとしても、そこから、やれ、水筒の水はたりるか、やれお菓子は何がたりないのではないかとだらだらだらだらと、私に対する嫌がらせかと思えるほどの牛歩戦術を実行してきて、なかなか出発することができない。

私は心の中でいつも、時間のほうが大事なのだから、そんなの途中で買えばいいじゃないかと毒づいているが、実際に声に出すことは、当然のごとくない。

海についても、すぐに海に飛び込むのではなく、アイス屋さんを見つけてはアイスを食べ、コーヒー販売の屋台を見つけてはコーヒーをたしなみ、海に飛び込むまでにかなりの時間がかかる。

その後、海で遊び終わった後には、ゆっくりゆっくり帰りの支度をし、また、近隣でお土産散策を楽しみ、結果として、かならずピンポイントで渋滞に巻き込まれ、家に着くのは遅くなり、休養などはできない状況。

この繰り返しなので、少しでも急いで帰って、家でのんびり時間を使ったほうが有意義ではないかと思うだが、奥さんは、デッドラインが決まっていて、急かされるのは心理的プレッシャーがあり、とてつもなく不快、デッドラインなど設けず、なすがままに任せればよいではないかという強い信念を決して曲げない。。。

このような考え方を説明すると、そのメキシコ人は、「奥さんの気持ちがよくわかる、急ぐとか意味が分からない、生きていて、色々やりたいことがあるのだから、そのやりたいこと、気の向くままに行動しながらゆっくり海につけばいいではないか」と言う。

「急ぐという意味が分からない」という言葉、あまりに衝撃的で、何度心のなかで繰り返してみても、急ぐという意味がわからないという言葉の意味が私にはわからない。

子供のころから急ぐことに慣れている私、時間を大切だと思っている私、一方、急ぐという意味さえわからない奥さんやメキシコ人、時間は当然あるもので、価値を見出していない奥さんやメキシコ人、どちらの人生が幸せなのか。。。

いずれにせよ、時間にプライオリティはなく、現在、目の前にあること、現在の楽しみか、未来の楽しみかどちらを選ぶなどという発想はなく、現在のみをみて、その中で楽しみ、未来には未来で、現在から用意しなくても楽しみは自然にやってくる、無限の時間がそれをプレゼントしてくれるという考えということで整理すればわかりやすいのか。

私自身も考え方を変えて、奥さんやメキシコ人のように考えることができれば、何も考えず、幸せを感じることができるのか、海で長く遊ぶより、気の向くまま、一瞬一瞬の心の声に耳を傾け、実施し、瞬間瞬間の幸せを噛みしめる、別の考えだがそれもいいのではと思いかけているので、少しは理解するよう努力しようと思った。。。

と、最後、うまく締めくくったつもりであるが、現在飛行機の中で投稿を書いているのだが、飛行機は、到着が遅れるという、そのアナウンスを聞いた際の時間は無限にあり、瞬間瞬間の幸せを見つけることに長けているはずのメキシコ人の乗客の反応、遅れがかなり不満なのか、自分の平手でたたき、悪態をついている、この行為を目の当たりにし、私の考察はどうやら全く的を得ていないのかもと、収集がつかなくなってしまったようである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました