海の家での怖い話

房総

この週末は、奥さん、ワイヤとタタ、マメと私の母親で訪問し、種々作業をすることにしていたのだが、なんと一週末で3回も怖い思いをした。。。

現代の文明が発達した日本での日常生活を送っている中で、恐怖体験というものはあまり体験することはないと思うのだが(精神的な社会生活のストレスは別にして)、海の家ではなんでもおこる、それだけ、原始の時代に近い暮らしなのか。

今回はある週末の恐怖体験を単独の話として投稿することにする。

怖い話 其一 火の怖い話

海の家の梅雨の時期の湿気はひどい、家の中にいると、メガネは曇るし、部屋の香りも湿気のにおいで換気が大切。

周りの森やくさっぱらも連日の雨でしっかりと湿気を含んでおり、憂鬱な気分になるが、唯一この利点は焚火をしても火が飛び火しないことではないだろうか。

私はここ数か月ずっとシロアリに蹂躙された家の修復と改装にわが身をささげてきた。

正直言って家の床及び床下の柱をすべて入れ替えたので、この廃材たるやかなりの量となる。

家の前、家の裏など廃材の山となっている。

冬の薪になどとの考えもあるが、くぎなどが出ていて危ないし、見栄えも悪いしで何とか整理をしたいと思っていた。

一方、家の中に目を向けると、一部屋が丸々段ボールで埋まった部屋がある。

家の中の設備、こたつや電子レンジ、様々な工具が入っていた空き箱である。

私は将来の引っ越しなどに備えて、空箱もとっておこうなどというような考えは全く持たないタイプの人間なので、この空き箱が邪魔でしょうがなかった。

この積もり積もった廃材と段ボール箱、数日分の雨をしっかりため込んだ森と原っぱ、ちょっと暑いが、焚火にはもってこいの好条件である。

子供のころの夏のキャンプファイヤーを思い出しながら、廃材や空き箱を燃やしてしまうというのも田舎ならではのアクティビティであると考え、わくわくしながら焚火の準備。

ドラム缶があるので、ドラム缶の中で燃やせば安全だろうということで、ドラム缶のフタをあけ、ドラム缶を設置。

ドラム缶前方、立木があるが十分離れている、ドラム缶上方、木がおおいかぶさっているが、高さが4メートル以上あるので大丈夫であろう、ドラム缶右舷、開けている、左舷、車が止めてあるが十分に離れている、後方、家があるが十分に離れているということで、左右前後上方の全方向をしっかりと安全確認。

ライター等の着火道具がなかったので、家の中でまずは段ボールを切り裂き、その一つに台所のガス台で火をつけ、一目散に外のドラム缶の中へ投入。

細切れの段ボールの一角についた火を大切に消さないように他に切り刻んだ段ボールを足していき、大切に火を育てていく。

火が十分に育った時点で乾いたなるべく小ぶりな木を投入し、その後、乾いた大きな木及び濡れた大きな木という順番で投入していく。

火が大きく育ったなかでは、湿った木もすぐに乾き燃えていく。

廃材や段ボールはたくさんあるので、だんだんめんどくさくなりスピードアップしたくなってくる。

最初は慎重であった廃材のくべ方も時間がたち、なれてきたのもあり、だんだん大胆になっていく。

一度に大量に大量に。

火が大きく育ちすぎてしまい、火柱となってそそり立っている。

ただ、確認した通り、上部に覆いかぶさっている木は十分に距離があり、まだまだ全然余裕とのことで、この火柱を保ったまま燃やし続ける。

風向きが変わり、煙が家側に立っている私に向かってきたので、その煙を避け、車側に移動し、車にもたれかかる。

袖なしのシャツを着ながら燃やしていたのだが、よりかかった瞬間、あちっ、皮膚の出ていた肩があつい、肩というより、車のボンネットが燃えるようにあつい。

どうも焚火の輻射熱で車がかんかんにあたたまり熱を持ってしまっていた。

本当に熱くなってしまっており、ガソリンに引火でもすれば大惨事になってしまうと思い、また、車に乗り込みエンジンをかけて移動というのも、エンジンをかけた瞬間に爆破などということになっても困るので、とっさに思い付いたのは、資材としてもっていた石膏ボードをそのボンネットの上におき、熱を防ぐことで、この方法は実際に効果があり、だんだん車のボンネットの温度が下がってきた。

次に、車の対処をしていたところ、私が元居た場所で家側においてあったペットボトルが火にあたっているわけではないのだが、熱で変形してしまっている。

まさかと思い、家に手をやってみるとかなりの距離があるのに、これまた家も輻射熱にギンギンにてらされ、燃えるように熱い。

これもすぐに石膏ボードを立てかけ、事なきをえた。

三度目の正直というか、二度あることは三度あるではないが、三度目の危機は上方の覆いかぶさっている木。

覆いかぶさっている木と炎にはかなりの距離があるにもかかわらず、長時間火にあぶられた木はからからに乾いてしまい、舞い上がった火の粉がきっかけとなりところどころ、枝で火の手が上がってしまった。

まずい、非常にまずい。

水をかけようにも高くて水が届かない。

どうしようと思っていると、自然に鎮火、あぶられていない乾いていない部分まで燃えたところで延焼は止められたようである。

また、その後、幸運にも雨が降ってきたので、なんとか安心することができた。

ガソリンへの引火、家の火事、山火事の危険とドラム缶の焚火の怖さを思い知った夜であった。

今後は、火の届く範囲ではなく、しっかりと輻射熱を意識した上での焚火場の設置を誓った。

怖い話 其二 土手で二回転の後逆さづりとなる怖い話

過去、古い畳をすべて替えた話は投稿した。

古畳は、庭にほっぽっておくと除草にもなるし、自然に帰るしよいと母親にすすめられ、そのようにした。

海の家に入るには細い砂利の道を上っていかねばならず、この細い道の一方は山、もう一方は、下りの急な土手となっている。

土手は土手の始まりの下りはじめの2メートルほどは何もないのだが、その先3メートル程は、林となっており、木がたくさん生えている。

この砂利の道、ところどころ泥となっており、車で走ると滑ってしまうので、ということで、古畳を泥になったところにおき、滑り止めとすることとした。

重い思いをしながら、なんとか畳10枚をしきつめた。

この畳をおいて、約二か月、古い畳というものは本当によく水を吸うようで車で通るたびにその畳から水が絞り出てくる。

さらに、表面の井草がきれてわらがむき出しとなってしまっている箇所がでてきて、ここは泥以上にタイヤにスリップを起こさせる要因になってしまい、これは完ぺきに失敗で取り除かなければと思っていた矢先の事、タイヤがスリップし、車が後退しなくなってしまった。

これはもう、取り除かなければと思い、車を前進させ、どかし、畳を撤去しようと畳を持ち上げた。

重い、死ぬほど重い、持ち上がらない、通常乾いたわらの畳は30Kgといわれているが、この水分を死ぬほどすった畳、おそらく倍以上はあるのではと思うくらいびくともしない。

ただ、どかさなければ車で通れないので、私は火事場のくそ力を発揮し、なんとか端っこをもって少しずらし、すこしずつすこしずつ、亀のようなスピードで一枚一枚の畳を土手ぞいにどかしていった。

この間苦しんだのは重さに加え、におい、とにかく臭い、畳のわらが水を吸って腐っており、臭い水、なんか茶色によどんだ水がにおいを発している。

重さとにおいに耐えながらなんとか気力を振り絞り6枚まで完了。

残り、4枚となったところで、つかれからか握力が落ちており、端っこをもって引っ張ってもずらせないので、態勢変更。

畳に対し、正面から対峙し、しゃがんだ状態で畳の端に手をかけ、少し持ち上げて前にひっくり返すという方法をとった。

予定で行くと土手にバサッと落ちるはずであったが、握力を失った手がすっぽ抜けた。

畳の重みを失った私の体は手がすっぽ抜けたことにより、前への力のみが働き、体が前に飛んで行ってしまった。

そこは下りの土手、本当に漫画のような光景であったと思う、ぴょんと飛んで行ってしまった私は、土手で前方に二回転し、木のあるところで木に必死にしがみつき、頭が下、足が上という逆さはりつけの形で体が止まっていた。

その状態で、まずは止まったことに感謝する。

次に体に何か刺さっていないか、体を動かしてみる。

手や背中を打っていたようで痛いが別に何かが刺さっているわけではない。

その確認が終わり、なんとか起き上がろうとするが、土手が急で起き上がれない。

私は意を決し、木につかまりながら、足を下にもっていくようにもう一回転し、やっと頭が上、足が下という状態にして、土手を上っていく。

土手を上りきったところで、体をチェックすると、背中と左腕に切り傷があるものの軽傷で、よく頭を打ったりしなかったものだと感心した。

そこで家族が家より出てきてどうしたのというので、土手に落っこちたといったところ、奥さんも母親も臭い臭い、着替えて着替えてという思いやりのかけらもない言葉を投げつけられ、何とか残りの畳を気力で移動した後、シャワーを全身に浴び、においを落とす努力をする。

ただ、強力なもので、手のにおいは落ちずに苦労した。

一方、体はというとその時はアドレナリンが出ていたからかあまりいたくなかったのだが、翌日は、背中が痛く、右のお尻がはれ上がり、右の内ももにも大きなあざができと結構な傷を負っていた。

尚、この話を聞いた母親は私の思い出話を語ってくれた。

ある日、高校生の私が、右手に変形した自転車、左手にタイヤをもって、擦り傷を作って家に帰ってきたと。

前輪がいきなり取れて回転してこけたと。

思い出した、車道から歩道にあがるわずかな段差で、いきなり前輪が引っかかって取れてしまい、前に二回転して起き上がった。

事態がよくわからず、見てみると前輪のとれた自転車でフレームが無茶苦茶なものと前輪が転がっていた。

ただ、今でも2回転してどうしてそのように軽傷であったのかはよくわからない。

今回も、一歩間違えばかなりの大惨劇。

守ってくれた何らかの力に感謝する。

怖い話 其三 飛翔するものの怖い話

中央南の6畳間の囲炉裏テーブルを作成していると、中央北の4.5畳間から空気を震わす羽をもつ虫独特の音がしてくる。

ブーーーーーーン。

かなり大きな音。

恐る恐る見に行ってみると一匹の巨大なスズメバチが空中でホバリング中。

とにかく、でかすぎる、虫?それとも動物?という感じのでかさに私には本当におののいた。

一目散に中央南の6畳間から外に出て障子を閉め、家族に警告。

私

こっちにくるな、スズメバチ、でかいスズメバチ。

日本語を解さない奥さんに子供たちを守るために言ったので、英語での指示。

ここで、ハチ恐怖症の奥さんは大パニック。

一方、ワイヤは逆に見たくて寄ってくる始末。

一方、突然の英語の警告に英語を解さない私の母親は何が起こっているかわからず、なにー?と叫んでいる。

私もパニックでなんで母親がわからないのか、そっか英語でいったからかと思い、日本語で、でっかいスズメバチが入ってきた!!!と叫ぶ。

ワイヤがあけた障子の穴から中を覗いてみると、ホバリングを解除し、ゆっくりと中央南の6畳間へ侵入し、上下動の動きをした後、電灯に近寄り、スイッチのひもに垂直着陸。

でかい。

ただ、家族を守るためには私はこのスズメバチを駆逐しなければと思うのだが、部屋の中では蚊取り線香が燃えているだけ。

どうも蚊取り線香はスズメバチには効かないことが確認された。

スズメバチ迎撃用のバズーカスプレーを持っていない私は、その辺にある木の板でイチかバチか叩き落そうとおもったが、外れた場合かなりの危険が予想されるので、方法がわからない。

そこで役に立ったのは、やはり亀の甲より年の功で、母親の発案。

母親
母親

表に虫網があった!!!

私

それ、それ、それ、とってきて

私は監視のためにその場にとどまり、スズメバチの行動パターンを解析すべくスズメバチを凝視。

行動パターンはなく、紐と戯れ、離発着を不規則に繰り返している、ただ、一つだけわかったこと、とにかくでかい。

おそらく特大級の大型機なので、とてもではないが刺されたら成人男子の私でも生存の自信はない。

母親が虫網を持ってきたところで、ワイヤを母親に任せ、避難させ、障子をそっとあけ、部屋に侵入。

すぐに撃墜すべく網をふるうが、こちらのレーダーがくるっており、一発目は取り逃がしてしまい、こっちによって来る。

もう冷静な判断などできず、どこかが当たればダメージを与えられると思い、めちゃくちゃに網を振り回したところ、最終的に網の中に納まった。

納まったスズメバチは逃げ出そうと網の中を積極的に動いている。

私は意を決してそばにあった木片を握り、2回3回と上からたたく。

驚いたのは、そのスズメバチ、木片の攻撃を受けている時、針を発射した、驚いた、初めて見た、死ぬ間際にスズメバチが針を発射するなんて。

私は、スズメバチが飛べなくなったのを確認し、網をはずし、見てみるとまだ動いている。

体はでかいし、顔も怖い、そこへ、ワイヤがよってきて触ろうとする。

すぐにワイヤを叱って、BBQの炭を動かすトングにてつまみ、大きさの証拠に写真をとり、外で土葬。

過去にスズメバチと戦ったことがあるが、その時は小さな巣であり、この巣はバズーカ型の殺虫剤で駆除したため勝手が違った。

その時は遠く離れて迎撃でき、数匹がこちらに編隊飛行で攻撃を仕掛けてきたので、そばの車の中に逃げ込むことができた。

今回は、武器も粗末で、逃げることも許されない中での駆逐、なんとも身が縮こまるおもいだった。

本当に怖かった。。。

これらが海の家で一週末でおこった3つの怖い話。。。

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