コロンビアにおける車の運転とエレベーター 

南米コロンビア

コロンビアにおける車の運転に関する考察

日本人の感覚からするとコロンビアの車の運転に関しては物申したいことが多々あり、詳細語りだしたらきりがない。

ボゴタは、200万人が居住することを想定した都市設計に対し、現在近郊の通勤者も含めると800万人程度が住む大都市に成長している。

電車や地下鉄という交通インフラは整っておらず、主役はまったく交通ルールを守らない我が物顔で路上を疾走する大小のバス、あと日本で言う路面電車に近い、ただ、線路がひかれておらず専用車線だけが確保され、車体は普通のバスというトランスミレニオという乗り物、それに簡単に許可が取れる数々の個人弾丸タクシー、これは、日本の軽自動車の大きさであり、どんな隙間にも車の先っぽを突っ込み車体をねじ込み、道を切り開くなんともたくましいが、危険極まりない乗り物であり、渋滞の主要原因であると個人的には考えているしろものである、これに歩行者、自転車、バイクが折り重なり、道路は常に秩序の全くない超渋滞状態。秩序が全くないので、気の強い者は渋滞を制し、気の弱い者はただただ強者に屈して道を譲り、自分は身動き取れなくなったり、必要以上に時間を浪費したりと、本当に弱肉強食の世界である。

私自身は、気はそれほど弱くないと自負しているが、こちらの路上の喧嘩のルールをしらない、よって、日本の教習所で学んだことを尊重しながら、最大限乱暴者として、路上でふるまおうとしても、やはりこちらでは、気の弱いもの組となってしまい、渋滞での負け組みの一員となっている。

私の場合、会社まで通勤距離は約4キロメートルほどで極近物件に居住しているのだが、朝晩は、しっかり渋滞に巻き込まれ、路上にでてから片道45分以上は時間を浪費している。

行政もこの渋滞を見るに見かねて、万を期して、Pico Y Placaという制度を導入した。

これは、車のナンバープレートの末尾の数字を偶数と奇数に分け、時間帯によって、運転できる車を規制したもの。

例えば、偶数ナンバーの車は、月水金は、6時から8時まで、また、16時から18時まで運転禁止、奇数ナンバーは、火木に禁止とするものである。

これにより通勤通学時間帯の車の絶対量を理論的には半分にし、少しでも渋滞を緩和しようとしたちょっとしたアイデアのルールであった。

ただ、このルールの導入は導入した当局も予期できぬ結果に終わってしまった。

このルールの導入により何が起きたかというと車の販売の急激な増加を招いてしまったのだ。

すなわち、偶数ナンバーの車を持っている家庭は奇数ナンバーの車を、奇数ナンバーの車を持っている家庭は偶数ナンバーの車をということで、車の絶対数が倍増してしまった。

さらに、当然のごとくそれほど裕福でない家庭も多く、この2台目の車は、当然1台目の車より安価なものを求めるものとなり、整備は行き届いておらず、排気ガス垂れ流し、路上での故障は頻発し、渋滞を助長するものとなった。

これはまったくもって政府の大きな誤算で、国民がここまで、渋滞を助長することに積極的とは思わなかったようである。

なお、当地の陰謀説によれば、行政はそれも見越した上で、このような制度を作ったと。。。車の販売数量助長はその税金を底上げ、また、渋滞の更なる深刻化は、おのずとガソリンの消費の増加につながりこれも税収を増やす一つの手段であると。。。。

いずれにせよ、通勤通学時間帯は、町の道路は、常にストリートレース状態。

スピードレースというよりわずかな隙間を求めて、我先にと皆が皆、車のへさきをちょっとの隙間にねじ込む。

ねじ込み方も半端でない、隣の車と5センチぐらいまで近づき、相手の顔をみず、あえて正面に目を見据え、えいやと突っ込む。

気合負けして、突っ込まれたほうはブレーキを踏むしかなく、これにより更なる渋滞が助長される。

また、信号が赤になっても交差点内にとどまっている車もあり、クラクションの嵐であるが、動けないものは仕方がない、クラクションを鳴らされてもまっすぐ前を見据え、知らん顔。

また、女性陣の中には、1分でも長く寝ていたいのか、車の中で、鏡を見ながら化粧をすることは当たり前、路面の状態も悪いのでアイシャドウを塗るときなど、目を傷つけるのではないかと要らぬ心配もしてしまうが、彼女たちはもうその道のプロ、路面状況に合わせて柳のような指先の微調整などお手の物で、難儀な運転と化粧という二つの動作を難なくこなしている。

とにかく老いも若きも、女も男も、老若男女すべてが、時速4キロのストリートレースを毎日開催しているような状況であるので、自然にこのような状態での運転技術も向上するのであろう。

ここで、日本人の私が分析するに、この車の数や道路の状況は変えられない前提で、少しでもこの渋滞を解消するためには、各人がほんの少し回りの人を思いやり、広い視野を持ち、少しだけ譲り合いの心をもてば、かなり渋滞は緩和すると思う。

小さな隙間の奪い合いで身動きができなくなるのを避ける為、一台一台交互に秩序を持って進入すれば完全な通行の硬直は防げる、あせって赤になりそうな信号の交差点につっこんで、結局交差点の中で立ち止まり、交通のフローの完全な停滞を自分自身で作るのではなく、ちょっと思いやりを持って、赤になりそうなときは、いくら目の前の信号が青でも無理に突っ込まない、この直後にいる車も青なのになんで交差点に突っ込まないのだというクラクションによる猛烈な抗議を差し控える、このようなことで少しは渋滞も緩和できると思うが、コロンビアにおけるこの運転方法は、もうすでにコロンビアの大地に、人々の中に深く根付いてしまっており、とうてい実現不可な話であると思われ、唯一最後の逆転手段は、四輪禁止、原チャのみという程度の貧相な解決策か。。。

ただ、原チャにすると、おそらく犯罪率の急激な増加を招くことは目に見えており(信号で止まった際の強盗の頻度が増すと思われ)、そうすると、コロンビア人の性格を変え、、、、、などと考えても全く解決までの筋道が見えない。。。

ちょっと日ごろの渋滞のストレスにより少々私も、本投稿、ヒートアップしてしまったが、とにかく譲り合いの心のなさが生む交通渋滞は悲惨な状況で、市民の日常生活に大きな害を生じさせている。

コロンビアにおけるエレベーターに関する考察

さて、車の運転の話とはがらっと変わり、エレベーター。

エレベーターは国のレベルを測るのに非常に有効な手段であると考える。

まず、ハード面、あまり進んでいない国にいくと、もちろんビルの格にもよるが、大体閉まるボタンがない。閉めるためにはどうするか、ただ、ドアが閉まるのを何もせずに待つ、あまり進んでいない国というか穏やかな国といったほうがよいのかも。

また、エレベーターのホールと到着階の床との間に段差がある、この段差の広さも結構みそ、進んでいない国や格の低いビルほどこの差というのは大きな場合がある、エレベーターというのは階段を避けるための移動手段であるはずだが、到着階の床とエレベーターの床が生み出す一段の最後の階段、、、何とも皮肉なものである。

また、通常複数エレベーターがある場合は、コンピューター制御されており、効率よくなるべく人の待ち時間を減らすべく制御されていると思うのだが、これまた、うまく制御できておらず、2台あったら、2台がシンクロした動き。4台あったら4台がシンクロした動きと。

一括大量輸送という意味では、非常に有効だと思うが、Just in timeという点では、何とも非効率な動きのしろものとなってしまっている。

私が体験した特に変り種のエレベーターとしては、階数が、1,2,3,4,5,6,7,8,6,10と6階が二回も出てきており、これはおそらく6と9の数字の形状による取り付けミスだと思われ、くすっと笑えるような範疇に収まる話であるが、1,2,2,3,4,5等という場合は、どちらの2階に行けばよいのかなど、取付ミスとは当然思えないような、エレベーターに乗っているだけで乗る者への知能への挑戦をしていると思われるようなものまで存在している。

話はかわり、ソフト面、これは乗る人の問題。

あまり進んでいない国の人は、上に行くにも下に行くにも、常に上と下の両方のボタンを押す。

そこまで通過されてしまうのが怖いのかと思ってしまうが、とにかく完ぺき主義で、上下両押し。

上に行くときも下に行くときもエレベーターは止まるので多くの人がこれを行うと、各階にエレベーターが止まることとなり、結果として非常に各駅停車の非常に遅い運行スケジュール。

更につわものは、この両押しをした上で、上に行くのも下に行くのも関係なしで、下に下りたい場合でも上行きのエレベーターにのり、上に上りたい場合でも下行きのエレベーターにのり、不死鳥のごとくよみがえり、同じ階で待っていた人たちとの再会を果たす。

他の種類のつわものも多々存在する。

通常エレベーターに乗るのは行きたい階があるから乗るのであり、年をとった人も優しく上に運んでくれるありがたい乗り物である。

ただ、中にはエレベーターに乗ることで目的を果たしてしまったのか、乗ったのに行先の階数を押さず、どこに行くか熟考しているつわもの、押した階に着いたのに降りずに、ドアがしまるまで待って、他人の押した他の階で平然と下りていくなど、つわものなど、エレベーターのつわものの種類は多種多様である。

エレベーターに関するハード面、ソフト面の考察が長くなってしまったが、コロンビアのエレベーターでは、人の行動において、日本では見られない非常に興味深い事態が発生する。

ドアに手をかけたまま、なかなか乗らない男性が存在する、紳士的な微笑みに常にシガンという言葉を連呼、それはスペイン語でお先にどうぞという意味、後から来た人や女性を優先にドアにはさまれないようににこやかにガイドしていて親切極まりなし。

また、下りるときも、顔を見合い、よい一日を、や、また後でね、など知り合いでなくても気持ちのよい挨拶のやり取りをほほえましくも行っている。

譲り合いの心を持った陽気な国民が皆でエレベーターという小さな空間を気持ちよく共有している。

このような光景を朝から目にすると非常に気分が良く、やはり譲り合いの心というのは素晴らしいものであると実感する。

コロンビアにおける車の運転とエレベーター 

コロンビアに比較的長期にわたり居住すると何とも言えない矛盾を感じることが多々あり、この矛盾は大体が解決できないままに胸の中にくすぶって何年も持ち続けることとなる。

身近な例でいうと、私自身はこの車の運転とエレベーターに関して、非常に大きな矛盾が存在していると日々痛感している。。

両方ともまさに朝の通勤の一幕である。

車を運転し、自宅から会社の場所まで移動し、会社のあるビルへ行き、一階から会社のある階までエレベーターで移動する。

車の運転の考察では、全く譲り合いの精神がないとコロンビア人を評しイライラの塊であった私が、エレベーターにおける考察では、譲り合いの精神の塊のラテンの陽気な人々を目にして気分を良くしている、このコロンビア人の行動を起こす精神状態に関し、大きな矛盾を感じてしまっている自分、私自身は当地に比較的長期にわたり居住し、当地における人の考え方などを少しは理解していたつもりであったのだが、やはり、まだまだ、矛盾を感じてしまった時点で、私はまだ、ラテン人のメンタリティを全く理解できていないのかもしれない。

しかし、最後にはやはりこう言いたい、ちょっとだけ、論理的に考えると、、、

「ちょっと待て、ちょっと待て、数秒を待たずに自分の命や人の命を危険にさらして、レースを繰り広げていたのは、どこのだれ?日本のおもてなしを凌駕するホスピタリティでエレベーターで譲り合いの精神をいかんなくはっきするのはどこのだれ? ここはどこ?あなたたちはだれですか?」

こんな釈然としない疑問が頭から離れることはない。。。すこしでも私の精神をこの矛盾から離れた心の安寧を与えてほしい。。。

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