コロンビアの時間に関する考察

南米コロンビア

ラテンの人々のイメージは陽気で多少のことは気にせずいつもおおらかに笑顔とともに人生の楽しみを謳歌するというようなものではないだろうか。

実際、その通りでこちらがちょっと失礼なことをしてしまったと思い、恐縮している場合なども、ちろん程度によるが、ほぼ笑顔で「気にするな、全く問題ない」と答えが返ってくる。

これは、本当に気にしていないのか、または、こちらは失礼なことをしたと思っても、相手はそれに気づいていないのか。

逆に、なんて失礼なやつだと思うようなことは、日本人の私からすると日常茶飯事なのだが、ほぼ謝罪など聞いたことがなく、おそらくこれはこの世界では失礼なことなどには当たらないのだろうと思う。

その中で特に私の経験したもので、時間に関するラテン人の感覚というものを考察してみたいと思う。

Llegandoという言葉

スペイン語で「到着する」という意味の言葉は「Llegar」という動詞。これが現在進行形、すなわち、今着きつつあるや、すぐにつくところなどという意味になるには「Llegando」という言葉になる。

この言葉はとにかくよく耳にする言葉である。 

例えば、どこかのレストランで待ち合わせしたときに相手が来ない、ここで電話するとまずこの言葉が返ってくる。

遅れていることの謝罪はまず期待できないし、全くない。

ただ、「今私はつきつつある」ということを全身全霊をこめて力説するのみである。

ここで、慣れていないとああ5分程度で着くのかなと誤解をすることになるが、この「着きつつある」という言葉は、とてつもなく幅広い意味を持つ。

目的地に後5分も「Llegando]であれば、家を出た時点で、もう「Llegando」は適用される。

さらには、家の中で外出の用意をしている最中でさえ、「Llegando」という言葉は使えるのである。

私の中の統計では、「Llegando」という言葉が発せられた後の到着時間のイメージは、5分以内5%以内、30分以上1時間以内、85%、2時間以上5%、「つきつつあった」のだがやんごとなき理由の人生の一大事の理由により、こない5%となっている。

どのカテゴリーでも謝罪はないのだが、特に30分以上1時間以内の言い訳としては、車が込んでいたといい、交通渋滞に悪態をつくことで話を摩り替えるというのが最も一般的なものである。

2時間以上であればもう言い訳を聞く気にもならないが、一番の傑作は、すぐそばまで来ていたのだけど、携帯を家に忘れてしまったので、それを取りに帰った、それにより連絡もできなかったと。

電話で話したでしょ、または、家で携帯を入手したときに電話できるでしょと思いながらもあまりにも真っ赤なうそなので突っ込む気にもならない。

また、個人の生活設定にかかる電気やガス、インターネットの開設などを業者に依頼する場合など、特にたちが悪い。

基本的に雨が降ると都市機能、特に交通はマヒしてしまうボゴタにおいては、このような開設をお願いした場合は、まず雨が降ると時間に遅れる、そして、大概のケース、来ないという事態が発生する。

この言い訳はもう決まりきったもので、雨が降り道が止まりいけなかった、いや、とても分かりやすく私自身も納得である(納得してしまうような精神状態になってしまい、再度日本で生活できるか不安であるが)。

たちが悪いのは、雨など一切降っていなく、1時間待てども2時間待てども来ない、電話しても答えはなく、ラインをしても既読にならない。

来るといった4~5時間位後になり、ようやくラインで返信してきたかと思いきや、理由はほぼ一緒である。

「あなたからの最終確認を待っていた、最終確認が来なかったので、本日の約束はないものだと思っていた」と。

この最終確認という言葉が曲者で、普通に、「X時にXXね」という連絡では最終確認にはならない。

ある時は口頭でこの約束を行えば、ラインやメールで確認がなかったと言い訳し、ラインやメールで行った場合でも、さらなる最終確認がなかったなどと言い訳をかましてくる始末であり、ようは心穏やかに期待せず、来たらラッキー程度の心持で人を待つことが大切である。

昔々のスポ根ドラマ、スクールウォーズでの滝沢先生の言葉(ほぼ知っている人はいないと思うが。。。)、「信じ、待ち、許してやる」ことが大切とのことであったが、私自身は心の安寧をえるために、「信じず、待ちくたびれ、最初からあきらめる」という境地に達することがストレスに負けず生き延びるうえでの秘訣であると考える。

時間に関し、さらに鬱憤のたまっている私が畳みかけることとなるが、ホームパーティーをする時などは特に時間が読めない。

例えばちょっと遅い昼食で14時等に招待すると14時にはまずもって誰も来ない。

30分程度過ぎたころからぽつぽつ集まりだす。

ホームパーティーの場合は、準備が遅れることを気遣い、30分程度遅れるのが礼儀というこちらの習慣があるようで、この30分遅れるというのは逆に礼儀ただしいのかもしれない。

ただ、つわものになると、3時間、4時間遅れというのも珍しくない。

この場合はやはり習慣というより単に時間の感覚であろう。

料理に腕に覚えのある私は、ともかく、ホームパーティーをする際にはなるべく日本料理を堪能してもらおうというこちらの心遣いで、腕を振るうのだが、日本料理というのはタイミングというものがある。

熱いものは熱い内に食べてもらって本当のおいしさが味わえる。

また、麺類などは、麺の旬がものをいうので、いっせいに料理を出して食べてもらわなければ意味がない。

この3時間4時間遅れなどの客に対応する必要はないが、一応招待しているので、一日中台所にたたなければならないという事態に陥るのである。

さらにさらにわからないのは、役所や学校の時間割である。

こちらはでは様々な書類を法的に有効であるということを証明するために、公証役場が大活躍している。

どのような書類でも公印が求められる。

この公印はただはんこを押すだけでかなりの利益を上げていると思われ、ともかく既得権である。

話はそれたが、その公証役場の開店閉店時間の話だ、なぜか、8時53分開店、4時42分閉店など、時間が分刻みであり、それが入り口に公然と書かれていると同時に、公証役場によって微妙に時間が違う。

また、8時53分に開いていないこともあれば、4時42分の前にしまってしまうところもある。

ここまで詳細に時間を表示して何の意味があるのだろうとはなはだ首を傾げてしまう。

学校の時間割も同様だ。学校の時間割は日本の場合はきりのいい時間で決まっているだろうが、こちらの学校は全く異なる。例えば、授業は、7時33分から52分間などとこれも一分刻みのスケジュールが設定されている。

こちらにきてから一分刻みのスケジュールで動いている人間などあったことがなく、このことに意味があるのか考え込んでしまった。

ともかく、何時間単位ということで遅れることもありながら、スケジュールを一分単位で設定している部分もあり、まだまだこの部分の解釈については、全くわからない。

もし、コロンビア人に生まれていれば納得できるのだろうか。。。

私の心の安寧はまだまだ遠い。。。

コメント

タイトルとURLをコピーしました