千葉にある海の家の敷地内には、この場所の購入の際からキンカンと夏ミカンの木がそそりたっていた。
購入した冬にはキンカンは見事な実りをみせ、そのうまさに感動したものであるが、どうしたものか2年目からあまり実をつけなくなってしまった。
一方、夏ミカンの木は、1年目には食べてみると酸っぱくて食べられたものではなかったのだが、2年目に食した母親がとてつもなくおいしいと言い、ごっそりと持って帰った。
私は味見を下がやはり酸っぱくてとてもおいしいを思うものではなかった。
3年目も同様で、母親用の夏ミカンの木となった。
今年4年目、なかなか現地訪問できない中で母親よりとにかくもったいないから収穫してきてくれと言う依頼を受けた私は、いやいやながら草刈りがてら一人で現地訪問し、収穫作業を行った。
毎年何の手入れもしていないのになぜこれほどまでにというほどたわわに大量にみのっている。
この夏ミカンの木は何も栄養を与えていない代わりに、自由奔放に育つことが許された期であり、木の高さを低く抑えるために剪定するなどというような自由を奪うような行為は一切していない。
そのため、かなり高くなってしまっており、高所の実は全く手が届かない。
よって、この夏ミカンを収穫するためには、収穫用の器具が必要で、この器具は、竹と針金とねじ一本で簡単に制作できるのですぐ製作、5分程で完成したものがこれ。
この器具を用いて、夏ミカンを針金のわっかに通し、引っ張り落とす、この作業の繰り返し、ただ、単純な作業でも収穫というのは本当に本能に訴えかける喜びがあり、この喜びをかみしめながら単純作業を続け宇。
かれこれ1時間半、ようやくすべての収穫を終えた際には、大型の段ボールがいっぱいに。
ただ、この段ボール、詰めたは良いが重すぎて持ち上がらない。
仕方なく小さな段ボールに移し替えたところ、段ボールで4つ、まじまじ眺める、、、何度見ても収穫の喜びである。
母親に送るのも運賃がかかるので大変だと思いながら、ふと思い立ち食べてみる。
2年前と同様すっぱい、、、え、待てよ、すっぱいけど、、、うまい!!!
初めての味見から丸年が経過し、なにがおこったか、おそらく夏ミカン事態の質は一切変化がない、それでは何が変化したか、おそらく私の年齢である。私は2年分の歳をとり、そのおかげで、夏ミカンが熟したわけではなく、私の下が熟し、酸っぱいものをうまいと感じる領域に達したものと思われる。
元々野性味あふれる味が好きな奥さんもこの夏ミカンはたまらなくうまいという。
奥さんが味を知ったこと、私の舌が熟したこと、この二つにより未だ母親に夏ミカンの段ボールが届いてはいない。。。
来年は母親も自分で収穫し、自分で家に持ち帰らなければ、このおいしい夏ミカンを食べることはできないだろう。
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